2020-02-28
スカイチ閑話=上出来。それでいいよ。一つだけでもいいところがあれば十分だ。=
「上出来。それでいいよ。一つだけでもいいところがあれば十分だ。」池波正太郎
これは朝日新聞2/27朝刊『折々のことば』に紹介されていた一文。今の世の中に必要な一言なんじゃないかなあと・・・。徒然なるままに思いをめぐらせてみました。(※以下すべて、個人的な見解となりますのでご了承ください)
さてさて、数年前からマルチな才能だとかパラレルワークスで副収入だとか、なんでも器用にこなせる人がもてはやされて流行りだしましたよね。
そりゃあ、何でもできるに越したことはないし、そんな人になれるものならなってみたいよと思っていたら、欠陥だらけの評価制度なるシステム(個人の感想です)が浸透しだして、あっという間に世間も会社も学校も、なんでもできる人をスタンダードとみなすようになってきましたよね。
勉強も!スポーツも!コミュニケーション力も!リーダーシップも!協調性も!気配りも! ドラクエ的には 戦闘力も!かしこさも!すばやさも!防御力も!生命力も!と・・
生きていくのにスタンダードに装備していなければならない、要求される能力がどんどん増えているような気がするんだけど⁉。
そんな中、何か一つでも二つでも周りと同じようにできないまたは感じられない状況にある場合、人としてどこか欠陥があるのでは?と言われるようになり、発達障害というワードが流行りだし、そして、自分が人と同じようにできない部分を生まれつきの病気のせいだから仕方ないのだと診断してもらわなければ辛くて仕方がないのだということで心療内科を受診する人が昨今急増しているらしいではないですか!これは、できないのは自分の努力が足りないせいだというロストジェネを泣かせた自己責任論の呪縛の影響でしょうね・・・。
しかーし、いやいやまてまて、冷静になろう。本来、なんでもできる人なんていないんじゃないの?と。なんでもできる人みたいに表面上はとりつくろえるかもしれない。努力によって一瞬であればたぶんとりつくろえもするんだろうけど、すべてを人並みかそれ以上にそつなくこなし続けるには相当な持続力を必要とするだろうし、それこそ精神がギブアップするだろうって思う。周囲を見渡してみても、まじめな人ほどつらい思いをしているような気がしません?
「上出来。それでいいよ。一つだけでもいいところがあれば充分だ。」
この一言で救われる人が、結構たくさんいるんじゃないかと思うのだが、どうでしょうねえ。
(でも実は、この言葉は本来、池波正太郎が嫁をもらうかで迷っていた友人にかけた言葉だということですが・・)
ちなみに私はいまだかつて池波正太郎氏の本を読んだことがありません。ぜひこの機会に読んでみなくちゃなりませんな。代表作『鬼平犯科帳』の前に随筆集『芝居と映画と人生を』をまずは。ヨコスカイチバンで検索して、本屋さんへGo!
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